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歴史軽視「地震学の敗北」

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ゲームや文学 災害文化育め

昨年12月2日、ちょうど400年前に東北を襲った地震を考え直すシンポジウムが、東北大で開かれた。

岩手県山田町の旧家に残る慶長三陸地震の古文書。「大地震三度」「大波」「(死者)八百人余」(傍線部)の記述がある(羽鳥徳太郎さん提供)

江戸時代初頭の1611年12月2日に起きた「慶長三陸地震」である。

「東日本大震災に匹敵する大津波は、869年の貞観地震の後にも来ていた」

岩手中部で20~25メートル、宮城南部や福島北部でも5~13メートル。歴史地震学者の羽鳥徳太郎さん(89)が、推定される津波の高さをスクリーンに映すと、市民ら約200人がざわついた。

「大波、山の如(ごと)く」「引き潮は古木家どもを引き連れ」。古文書は死者3000人以上と伝える。

一般には知られていない慶長三陸地震だが、「歴史地震学」の研究者は早くから調査に取り組んでいた。

日本の近代的な地震観測の始まりは約130年前。それ以前に起きた地震の実態を、古文書や石碑、伝承から解き明かす学問だ。

「慶長の津波は最大級だった」と東京大学地震研究所員だった羽鳥さんが論文で初めて指摘したのは1975年。その後も現地調査を重ねて、津波の規模に修正を加え続けた。

「慶長津波の再来に注意が必要だ」という声はほかの研究者からも上がったが、地震学界全体の関心は低いままだった。

「過去からの警鐘が社会に伝わっていれば、危機意識も備えも変わっていたのではないか」。羽鳥さんの無念さは募る。

歴史地震学の成果はなぜ生かされなかったのか。

地震研究は、メカニズムを解明する「地震発生物理学」、コンピューターで揺れを予測する「強震動地震学」などが主流だった。

東北大の松沢暢(とおる)教授は「100年程度のデータから構築した理論で『マグニチュード(M)9はありえない』と思いこんだ。最新の理論や解析を重視するあまり、原点である歴史が二の次になった」と悔いる。

2006年に国の中央防災会議が公表した想定は、1896年の明治三陸地震(M8・2)の再来を「最大級」とした。被害は全壊家屋9400棟、死者2700人とみていた。

だが、5年後に起きた東日本大震災はM9・0。全壊13万棟、死者・行方不明2万人と、想定とはけた違いの被害を生んだ。

慶長三陸地震は「古文書だけではデータが不十分」として想定対象から外されていた。無論、それより以前に起こった貞観地震も対象外となった。橋本学・京都大防災研究所教授は「甘い見積もりに安住した地震学の敗北だ」と自責の念を語る。

中央防災会議は昨秋の検証報告で「想定の考え方を根本から改める」と出直しを表明した。

「超巨大地震には、ありとあらゆる手がかりを総動員して立ち向かわなければならない」と、報告をまとめた専門調査会座長の河田恵昭・関西大教授は言う。

高知県は、古文書や史跡から津波の痕跡を調べ直す事業に乗り出した。

ゲーム、アプリ、漫画で伝える災害。若者文化への浸透を図る

東海・東南海・南海の3連動地震とされる宝永地震(1707年)。津波の記録は千葉から熊本、長崎にまで残る。「今度こそ、歴史に学び、次代へ伝えよ」という先人からのメッセージである。

次代に教訓を伝える取り組みは始まっている。

<ゲームでやってきたことが今、目の前で起きています>

東日本大震災の発生から間もない2011年3月下旬、宮城県の避難所から金沢市のゲームクリエイター・九条一馬さん(45)の元に1通のメールが届いた。

コンピューターゲーム「絶体絶命都市」。地震や洪水に襲われた都市から脱出する設定で、リアルな描写に海外までファンが広がり、02年から3作で累計65万部を販売。昨春、4作目を発売する予定だった。

震災3日後、ゲーム会社は急きょ、開発打ち切りを発表した。被災者感情に配慮したという。

メールはこう続く。〈過去のシリーズは防災に役立ちました。発売中止はやめてください〉。打ち切りの撤回を求めるメールはほかにも約500通に上った。

シリーズを手がけた九条さんは「このゲームは単なる娯楽ではない」と思った。

大阪在住の時、阪神大震災を経験した。学生時代に暮らした神戸の街は壊滅、知人も亡くなった。シリーズを重ねるうちに、防災を意識するようになった。

「壁がX字に割れたビルは倒壊の危険がある」「ハイヒールはかかとを折って歩く」。09年の3作目では、生き残り術を盛り込んだ。

新会社を起業した九条さんは、災害を題材にしたゲームに再挑戦すると決めている。「大災害が繰り返される日本だからこそ、災害の怖さを伝えるゲームをなくしちゃいけない」

サブカルチャーを通じて若者に防災を訴えたい。防災・危機管理ジャーナリスト・渡辺実さん(60)が進めるプロジェクトがある。

「彼女を守る51の方法」。05年、災害時にどうやって恋人を守るか、という想定で、災害対応のノウハウや備えを説くマニュアル本を出版した。恋人役にグラビアアイドルを起用し、約2万部のヒットとなった。

翌年には同名の漫画単行本も発売。若者層の関心をひく狙いだった。

震災後、プロジェクトは再び動き出した。昨年9月、今度は携帯電話のアプリに編集して発売した。実際に被災地で使うことを視野に、今後、通信機能を改良する。

「災害の危機が、いま、そこにあるという『脅し』を若者に届けたい」と、渡辺さんは話す。

震災が鳴らした警鐘は、過去の記憶も呼び起こす。

〈二度、三度と潮のくる度に家や船はいかだのやう〉〈“子供を殺した”と言ひながら、泣いている母親。生地獄とは此の様な事を言ふのであらうか〉

1946年12月、和歌山、高知、徳島各県などで約1300人が犠牲になった昭和南海地震。当時、高知県須崎市の須崎高等小学校の107人が書き残した作文を、須崎地区自主防災連合会長・大家順助さん(79)がまとめ、近く、出版される。

東日本大震災で西日本最大の高さ3・2メートルの津波が須崎を襲った。漁船や車がのみ込まれた。しかし、住民の避難率はわずか7%。

「昭和南海を体験した我々の世代はいずれいなくなる。生きた言葉を後世にとどめておかなければ」と、大家さんは言う。

災害という「非日常」への備えを、「日常」の暮らしにどう植え付けるのか。こうした模索を続けてきた人の営みを神戸大の岩崎信彦名誉教授は「災害文化」と呼ぶ。

「効率、利益を優先し、災害を軽視する、文化の空白を生んではならない。時代に合った手法で、災害文化を育み続ける必要がある」

1・17と3・11。「災後」を生きる私たちの責務だ。(おわり)

(この連載は、社会部・稲垣収一、平井久之、羽尻拓史、科学部・浜中伸之、阿部健、地方部・立山光一郎、神戸総局・南部さやかが担当しました)

「災後を生きる」へのご意見、ご感想をお待ちしています。手紙は〒530・8551(住所不要)読売新聞大阪本社社会部「災後」取材班、メールはsaigo@yomiuri.comです。

(2012年1月20日  読売新聞)
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