猪瀬 直樹
16分前 (携帯より)
私は、IOCの行動規範第14条を充分理解しており、これまでも遵守してきている。今後も尊重し遵守していく。
記事の焦点が、あたかも東京が他都市を批判したとされていますが、私の真意が正しく伝わっていない。
私は、トルコに行ったこともあり、イスタンブールは個人的にも好きな都市である。私には、他の立候補都市を批判する意図はまったく無く、このようなインタビューの文脈と異なる記事が出たことは非常に残念だ。
私の招致にかける熱い思いは変わらないし、今後もIOCルールの遵守、他都市の招致活動への敬意をもって、招致活動に取り組んでいく。
【沖縄】米兵への活動家の暴力が激化 証拠があってもされない受理と報道 通行妨害で追突事故も (via anifunk)
ちなみに浅沼稲次郎を刺したのは右翼
野村秋介もググれ
見沢知廉もググれ
中核派のような新左翼も右翼も相当やってるんだけど。
ネットはこのように一面的にしか見ることができない。
(via yuibb)
meirinは膝に矢を受けてしまってな…さん(@meirin)の 0:06 午後 on 金, 4 12, 2013のツイート。 地元の人は大変かもだけど、見事ですなーふつくしい! 【幻想郷】長野県松本市で雪が積もり、雪と桜がコラボレーション 綺麗すぎてヤバイ! : はちま起稿 http://t.co/IyS9s35Gur (https://twitter.com/meirin/status/322546357955080192)
哲学者の鶴見俊輔は、かつてこんなことを書いた〈1〉。
「敗戦のしらせを夏休みのただなかで受けたあと、一九四五年九月一日、学校に向かう先生の足取りは重かった。それまで教えてきたことの反対を、おなじ子どもたちに教えなくてはならない。
自分が問われる。
そのとき、子どもたちに向かって立つ先生の肖像は、光背を帯びていた。それは国に押しつけることではすまない、自分自身のまちがいである」
戦争を「正しい」ものとして教えていた同じ先生が「正しくなかった」と言わねばならない。恥ずかしい。けれども、その、うつむく姿こそ輝いていた、最高の教育だった、と鶴見は考えた。それが「光背」の意味である。先生も自分と同じ、間違える存在なら、なんでも唯々諾々と受け入れることなどできない、生徒たちはそう考えることができたのだ。
だが、それも束(つか)の間のことだった。すぐに、すべては元に戻った。先生は国が公認した「正解」を教える存在へ、生徒はその「正解」を暗記する存在へ、と。
*
震災時、首相であった菅直人へのインタビューで小熊英二はこういっている〈2〉。「『再稼働反対』というのは、たんに大飯三号機と四号機という個別の原発を再稼働するのに反対という狭い意味だけではなくて、『三・一一以前の日本を「再稼働」するのは許せない』という意味だと私は解釈していました」
小熊のことばを借りるなら、この国はいま、「三・一一以前再稼働」への道をまっしぐらに歩みつつあるように見える。
震災と原発事故は、この国の中にひそんでいた、多くの闇をぼくたちの前にさらけ出した。地方をなぜ切り捨ててきたのか。原発事故はなぜ起こったのか。誰が、どんな責任をとり、そこからどんな未来を目指すのか。けれど、新しく首相となった人の、総選挙直後の会見や、国会での所信表明、施政方針演説をいくら読んでも、これらの疑問への回答はない。一言も。まるで、3・11以前の政治には問題がなかったかのようだ。
さっきとりあげたインタビューを、小熊はこんなふうに始めた。
「今日は自己弁護や党派的利害を抜きに、本当のことを語っていただきたいのです。アメリカではこういった証言のさい、証言者は聖書にかけて、自分が知る限りの真実を語ることを宣誓します。本日は『歴史の法廷に立つ身』として、自らが命令を下された方々、犠牲になった方々へ向けて、宣誓をお願いいたします」
異様な文言だ、と感じる読者も多いだろう。それは、ぼくたちが、これほどまで真剣に「本当のこと」を語れ、といわれることがないからだ。だが、「本当のこと」が語られないところでは、どんな責任もとりようがないのだけれど。
このインタビューではもう一つ大きなテーマが扱われている。それは“原発というのは、最悪の場合には誰かに死んでもらう命令を出さなければならないものであり、日本にその仕組みがない”という問題だ。そして、その答えがないまま、いまも、その問題に直面している原発作業員たちは座談会で、こう赤裸々にしゃべっている〈3〉。
「収束」などしていない、「収束」したことにしたい人たちがいるのだ、と。あるいは、東電は事故前の体質にもどっている、と。そして最後に「世間」に向かってこう述懐するのである。
「もう震災や原発事故は過去のことだと思っているのでしょうか」
*
鷲田清一は、アーティストたちと震災の関わりについて書いている〈4〉。
今回の震災でたくさんのアーティストたちが被災地に入った。そこには、「音楽が、創られたオブジェが」「人びとをじかに励ます」という要素もあっただろう。また、逆に、アーティストではなく単なるひとりの人間として、駆けつけた者もいただろう。しかし、そのどちらでもない(どちらでもある)ものもあったのではないか、と鷲田は書く。たとえば、写真家の志賀理江子のように。
志賀は、震災後、被災地に入ったのではない。何年も前に、宮城県の海岸沿いにある「北釜」という、平均年齢が60歳を超える、100世帯ほどの小さな集落に工房を作り、移り住んだ。その、外からやって来たアーティストは、やがて、その集落の「専属カメラマン」として、行事に参加し、写真を撮り、人びとの話に耳をかたむける。「北釜」の「記録係」になった志賀は、深く、その土地と歴史に魅せられてゆく。そんな志賀と集落を、津波が襲った。集落のおよそ6分の1の人たちが亡くなるのである。
「ある日突然スーツを着た人たちが高級車でやってきて、夢物語のような復興計画をたくさん話したことがありました。『これさえ実行できればすべてがよくなる。前よりももっと豊かになる。雇用も生まれて苦しい思いをしなくてすむ。あなたを助けたい』と言って豪華なお弁当を配った。……私たちが望む望まないにかかわらず、ここの住民ではない推進者の周到な計画にすべてを急がされたのはすごく悔しいことでした」〈5〉
志賀は、そこに根づいた「地霊」のように、土地の人びとの内奥の声を響かせる。そのことによって、過去を忘れ、責任や問題から目を逸(そ)らし、楽観的に「未来」を語ろうとする「大きな力」に立ち向かっているように、ぼくには思えた。
*
〈1〉鶴見俊輔「日本教育史外伝」(岩波新書『思い出袋』〈2010年刊〉所収)
〈2〉菅直人/聞き手・小熊英二「官邸から見た三・一一後の社会の変容」(現代思想3月号)
〈3〉後藤弘・佐山孝・青木徹(仮名) 原発作業員座談会「いま、イチエフはどうなっているか」(世界4月号)
〈4〉鷲田清一・連載「素手のふるまい(1) 〈社会〉なるものを索(もと)めて」(小説トリッパー・春季号)
〈5〉志賀理江子ほか『螺旋(らせん)海岸 notebook』(赤々舎、2012年12月刊) 
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